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神谷光徳さん

神想観で知った「第一のものを第一に」する生き方

●生長の家栄える会名誉会長
●(社)日本経済人懇話会会長
●(株)冨士工特別顧問

出典:2004年『光の泉』1月号より


二十八歳の時、交通事故を起こしてしまう

2004年度から、生長の家栄える会会長に就任した神谷さんの“祈りの生活”は、28歳の時に窮地に追い込まれて始めた命懸けの神想観からだった。以来、「宇宙の大生命が自分を通じて働き給う」と毎日欠かさず祈り続ける。そして今、「社会に、日本国に貢献する公の舞台」が与えられた。

 記者を横浜市白楽の自宅に案内する途中、神谷さんは八幡神社の前で車を止めた。大きなけやきのそびえる参道の奥に、決して大きくはないが、威厳のある社殿が佇む。
「ここは鎌倉時代から続く、応神天皇様を御祭神とする由緒あるお社なんだが、それ以上に、私にとっては特別の場所なんですよ」
古い敷意志の敷き詰められた参道を歩きながら、神谷さんはしみじみと語る。
「まだ若かった頃、この境内で三ヶ月間、毎朝命懸けで神想観したんです。私の生長の家の修行はまさにここから始まったんです」
 建設会社で前途有望な社員として働いていた神谷さんは、二十八歳の時、交通事故を起こしてしまった。交差点で六歳の男の子をはねたのである。その男の子は瀕死の重傷を負ったが、幸い一命をとりとめた。しかしその後、弁護士を通じて四百三十万の慰謝料が請求されたのである。当時、神谷さんの月給は一万七千円だったので、四百三十万といえばざっと年収の二十年分以上、現在の金額に換算したら、一億円近くになる。とても払いきれる金額ではない。
一ヶ月間悩み抜いた。酒を飲まなければ寝付けず、飲んでも夜中に目を覚ます。自暴自棄になりかけた時、ふと思い出したのは、高校三年の時に叔母に連れて行かれた生長の家の練成会のことだった。生長の家のことは十年間忘れていたが、逃げようにも逃げ切れない窮地に追い込まれ、ついに神様に振り向く時がきたのである。

命がけの神想観と、急転直下

当時、生長の家神奈川教区の地方講師会長だった大石章二さんの自宅に伺い、三日間相談にのってもらった。遅くまで会社の仕事があったので、夜の十一時から夜が白みはじめる三時頃まで、大石講師は親身の指導をしてくれたが、三日目にこう言った。
「神谷君、自分で蒔いた種は、自分で刈り取るしかないんだよ」
「それはその通りですが、そんな大金はとても払い切れません」
「君が払えなくても、神様なら払える。人間は神の子であって、無限の力があるんだ。神様が君にできないことを与えられるはずがない。近くに神社があるかね。あったら、そこで三ヶ月間、毎朝欠かさず命懸けの神想観をしなさい」
 翌朝の五時十分から、神谷さんは八幡神社の境内の裸電球の下に座り、大石講師に教えられた通りに神想観を始めた。一切の退路を断たれ、文字通り、“命懸けの神想観”だった。
神想観を始めても、しばらくは何も変わらなかった。「目に見える現象の世界は人間の心が映し出した仮の姿で、その奥には神様の創られた完全円満な実相世界がある」と念じても、頭の中の四百三十万円という数字にとらわれてしまう。それでも、「命懸け」だから、諦めずに続けるしかない。
一ヶ月半ほど経った朝、いつものように神社で神想観をしていると、ふと四百三十万円が小さなものに思われた。「受けて立とう」という気になった。それまで捉えられていた恐怖感が、潮でも引くように消えていくのがわかった。
神想観を終え、礼拝をして振り返ると、そこはこれまで見えていた世界ではなかった。
「急に目に見える世界が変わってしまったんだね。境内の樹木も、敷石も、何もかもすべてが素晴らしい黄金色に輝いて見えるんだ。そして、合掌したとたんに、自分の体がなくなってしまった気がした。そうしたことが、一週間以上続きましたよ。それで初めて、肉体にとらわれた現象の世界は偽物で、神様の創られた実相世界のみが本物だとわかった」
それから一週間で、問題は急転直下の解決をみる。事故を起こして悩んでいることを心配した会社が顧問弁護士を付けてくれ、先方の弁護士と話し合った結果、支払額は百五十五万円に下がった。それを報告すると、社長は黙って百五十五万円の小切手を書いて渡してくれたのである。事故を起こしたのは休日、しかも自らの過失である。これ以上会社に迷惑はかけられないと最初は何度も断った。すると社長は、「この金は返さなくでもいい。ただし男なら仕事で返せ」と言った。神谷さんは、感謝のあまり涙が止まらなかった。

第一のものを第一にする生き方

それからは恩返しのために、前にもましてがむしゃらに働いたが、受けた恩に報いるには、それだけでは足りない。「社会を、日本を、世界を救う生長の家の人類光明化運動に貢献することがより大きな恩に報いることだ」と考え、生長の家青年会に入ったのである。
あの時以来、神谷さんは一日も欠かさず神想観を続けている。毎朝四時に起床すると、仏壇の前で、生長の家のお経『甘露の法雨』を一時間以上かけて五回読み、五時十分から三十分間神想観を実修する。その後にあの八幡神社に参拝し、六時五十分には家を出て、東京の会社に出社する。そして帰宅がどんなに遅くなっても、『甘露の法雨』をあと三回読誦してから就寝するという毎日だ。
「生長の家では『三正行』ということを大事にしますが、それは、神想観、そして聖経読誦と生長の家の聖典の拝読、三番目は愛行、つまり他の人のために尽くす行いです。実は、私が得意中の得意とするのは、この愛行なんだね」と神谷さんは熱く語る。
「神想観をしていると、神と直結しますから、心の底からの思いは必ず実現します。私は『仕事を通じて社会貢献をしたい』と常に念じていたので、唯心所現の法則に従って、仕事はいつも向こうからやってくるんですよ。営業費をほとんど使わず、七百四十億円もの仕事を受注したこともあります」
しかし、この二~三年、神谷さんの祈りは少し変わってきた。
「神想観で学んだ最高のものは、『第一のものを第一にする』ということだね。『第一のもの』というのは、神様のはたらきです。自分を通じて宇宙の大生命のはたらきが現れるんです。それを何よりも大切にしたい。だから、最近はずっと、『神よ、公の舞台を与え給え』と祈り続けました。この社会に貢献したい、人の役に立ちたい、日本国の役に立ちたいという切なる願いが、これまで以上に強く湧いてきたんですよ」

瞑想を通じ、宇宙とぴったり一つになることができる

この祈りは早くもいろいろな形で叶えられている。まず、平成十四年四月、母校である日本大学高校・中学の同窓会長に選出された。
「卒業式や入学式などには生徒や父母など二千人近く出席するんですが、そこで年に六回は話をする機会に恵まれました。私は生長の家の教えに沿って『君たちには無限の能力がある』と話し、最後に父母への感謝を述べるんですよ」
また平成十四年から、外務省の外郭団体である財団法人アジア会館理事に、平成十五年四月からは、神奈川教区遺族会会長、ベトナム商工会議所日本代表事務所専務理事に就任。最近は毎月ベトナムを訪れ、経済交流に活躍している。
さらに時を同じくして生長の家栄える会会長に選出された。経営者などに教えの素晴らしさと、社会のために働く喜びを伝え、「生長の家能力開発センター」の研修会にも出講して、自らの体験を交えながらの講話も行っている。こうした役割を演じて、社会貢献の道はますます広がっている。これらはすべて、二十八歳の時の命懸けの神想観から始まったのである。
「生きとし生けるものは、すべて伸びることになっているんですよ。その根本にあるのは、『愛と感謝』です。瞑想をすればそれが心の底からわかる。宇宙とぴったり一つになることができるんです」と神谷さんは語る。
「その醍醐味は、神想観をしてみなければわからないでしょうね。私は、近頃、神想観をするのが楽しくてしかたがない。朝がきて神想観をするのが待ち遠しい。夜寝るのがもったいないくらいに感じる時がありますよ」

※体験者の年代表記は体験当時の年代となります。


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