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樋上雅一さん

植樹を通し、自然との一体感が深まる

株式会社オリオン建設 代表取締役社長
生長の家大阪教区栄える会会頭

出典:「日時計24」及び「いのちの環」


仕事を通して社会貢献し、自らの人格を磨こう

★出典:「日時計24」2013年6月号~「この人に聞く!」

明治創業の材木店から発展し、現在は建築設計・施工を手掛ける「オリオン建設株式会社」の二代目社長。
また生長の家大阪教区の栄える会会頭として社会貢献活動の先頭に立って活躍する樋上雅一さんに、
「働くことの意味」と「自分を生かす仕事を見つける」ための秘訣についてうかがった。


【初めは家業を継がず、大手ゼネコンに入社】

---初めから家業の建設会社を継がれたわけではないとお聞きしていますが?

樋上 そうなんです。家業は材木店として明治35年に創業し、父の代で建築業にまで手を広げたんですが、父は長男の私を信じ切っていたのでしょう、「家業を継げ」とは一言も言いませんでした。私はとても自由にさせてもらいました。


---ただ、生長の家の教えだけはすんなりと受け継がれた?

樋上 祖母が大阪の白鳩会の教区連合会長をしていて、両親も熱心に生長の家の教えを信仰していました。我が家では、私が子供の頃から信徒が大勢集まって誌友会が開かれていましたし、父の誦げる聖経を聞きながら育ちましたから、生長の家の教えにはまるで空気のように自然に馴染みましたね。


---初めは大手ゼネコンに入られたんですね。

樋上 広島大学で建築学を学び、東京の大手ゼネコンに入社しました。広島大学には、その会社より国内留学として研究所に入り、教鞭をとられていた方がいて、その方に誘われるまま入社したので、私には就活の経験がないんです。ただ就職したからには、そこで骨を浬めるつもりで、家業を継ぐまでの「腰掛け」とは考えていませんでした。
仕事はやり甲斐があって楽しかったんですが、当時の建設会社の現場は厳しかったですね。職人気質の影響が強く、先輩には絶対服従で、上司が黒と言えば白い物でも黒。下手に口答えしようものなら、モノが飛んできました(笑)。今の価値観から考えれば理不尽そのものですが、思い返せば、あの厳しさがあったおかげで、現場のノワハウを人一倍速く習得する、いい修業になったと感謝しています。


【父の経営する会社を継ぐ】

---家業を継ぐきっかけになったのは?

樋上 就職して10年経ち、結婚もして東京での生活基盤が固まっていた頃に、父が心臓弁膜症で倒れたんです。周囲からは、長男が早く大阪に帰って継ぐべきだと言われましたが、決心がつくまで1年かかりました。
会社を清算するという選択肢もありましたが、最後には、父が頑張ってやってきた仕事を放ってはおけないという思いが勝ちました。


---大手ゼネコンの社員から、中小企業の経営者に転身されて戸惑いもあったでしょう。

樋上 そうですね。当時はオイルショック後で、右肩上がりの経済成長の時代は終わっていましたし、さらに同じ建設業界とはいえ、大手ゼネコンと従業員10人程度の中小企業とは、まったく別の世界でした。健康保険や祉会保険もまだ整備されていなくて、その辺りから手を付けようとすると、現場からは「若僧が余計なことを言うな」と反発もありました。
しかし「このままでは若い社員が入ってこない」と力説するうち、心臓に人工弁を付けて復帰した父が私のことを理解してくれるようになりました。やがて古参社員も納得して、事業継承は順調に進みました。
とはいえ、社内での報告の徹底など「こんな当たり前のことがどうしてできてないんだ?」と感じるようなことも多かったため、その改善のための話の持って行き方が高圧的になり、配慮が欠けていた部分もありました。現場からは「そんな痛いこと、言わんといてぇな」と、よく言われたものです(笑)。
空気のように馴染んでいたというだけの生長の家の教えに、私が本気で取り組むようになったのは、その頃からなんです。


【人生に無駄なことは一つもない】

樋上 父はとても穏やかな人で、社員に慕われていました。私が新しいやり方を進めることができたのも、古参社員が「会長には恩があるから、二代目にも尽くさなければ」と思ってくれたからです。つまり「先代の徳」のおかげだった。生長の家を熱心に学ぶようになって、そのことがわかってきました。
父が私に「家業を継げ」と一言も言わずに、信頼して自由にさせてくれたのも、生長の家の信仰があったからでしょうし、そのおかげで私は外で修業をすることができたんです。大学を出て直接家業を継いだのでは、「世間知らずのぼんぼん」と相手にされなかったかもしれない。そう考えると、生長の家で教えられているように「人生に無駄なことは何一つない」「何が起ころうともすべてよし。みな、自分の魂が生長するための糧(かて)」なんです。


---そうすると、会社経営は生長の家の教えをベースにされているんですね。

樋上 その通りです。社員には生長の家の練成会や誌友会に参加してもらっています。そもそも我が社の目的は、建築会社でありながら建物をつくることではなく「人をつくること」だと言っているんです。
この会社を通じて人間形成をして人格を磨き、皆に喜ばれ、亡くなる時には多くの人々から「お世話になった」と惜しまれるような人になってもらうこと。それが我が社の目的です。


【報酬にはとらわれないで働く】

---これから社会に出る若い人たちへのメッセージがあれぱお願いします。

樋上 いま、就活で苦労している人が多いようですが、「自分が社会に貢献するための仕事の場は必ずある」と信じることですね。そして、まずはご縁を大切にして、与えられた職場に思い切って飛び込んでみることです。いろんな困難があってもそれを厭(いと)わず、「わが内には、すでに神様から与えられた無限の力がある」と信じて、いま、自分ができる100%以上の力を仕事に注ぐことです。
そうすれば必ず、それまでの仕事を卒業して次の段階に行ける時がきます。ご縁のあった仕事が、自分にとって一番いいところだと思って精一杯働いていると、後で振り返ってみて本当にそうだったなあと気づくんです。
そしてもう一つは、若いうちに何か一つ、お金という報酬にはとらわれないで働くことです。「働く」とは「傍(はた)を楽にすること」だと生長の家でも言いますが、ボランティアでもいいし、自分が得意なことで人が喜ぶようなことをするのでもいい。それが徳積みになり、結果として将来役に立つネットワークも広がります。とにかく人のために、喜んで愛を与えるということです。そうしているうちに自分にしかできない仕事も必ず見つかるんです。

植樹を通し、自然との一体感が深まる

★出典:「いのちの環」2011年4月号~「与えるよろこび」

【第一回「命の輝き共生の森」植樹祭・・・26種1100本の苗木を植樹】

 昨年(2010年)末、東大阪市内の大阪中央環状線沿いにあるモノレール計画用地・・・意岐部(おきべ)~瓜生堂(うりゅうどう)までの約800メートルの区間・・・で、「命の輝き共生の森」計画推進協議会による植樹祭が行われていた。
 その中心メンバーの一人、生長の家大阪教区栄える会会頭の樋上雅一さんは、「自分が生まれ育った大阪の街に植樹することができ、環境保全に役立てたかと思うと感慨もひとしおです」と、うれしそうに語る。
 同祭には、生長の家の信徒ほか、地元中小企業の経営者ら220人が参加し、朝10時から約2時間にわたって、26種1100本の苗木が植えられた。

【「命の輝き共生の森」の立ち上げ】

 この計画が持ち上がったのは一昨年(2009年)春。樋上さんが経営する建設会社の顧客と話しているとき、「地球環境を守るための植樹をしよう」と、意気投合したことがきっかけだった。
 大阪府に働きかけると、大阪中央環状線沿いに緑地を作る「中環の森」計画の一環として協力を要請された。早速、地元の中小企業経営者や大学生、高校生、大阪教区栄える会が主体となり、民間人による「命の輝き共生の森」計画をスタート。約1年かけて水を確保するための井戸掘り、花を植えるなどの準備を着々と進め、今回の植樹が実現した。

【植樹に感動!「自然との一体感」への確信】

「谷口雅宣・生長の家総裁の講話や著作などで、環境問題は人類喫緊の課題であることを学び、自社の建設業から出るCO2も温暖化の一因となっていることに心を痛めていたので、今回の植樹によって、少し相殺することができたとホッとしています」
 そして実際に植樹をしていると、思いがけず大きな感動を味わったと樋上さんはいう。
「神のみ心が苗木一本一本に現れている!という実感がわいてきましたね」
 さらには、植樹をしながら感極まって目頭を押さえる参加者の姿を目にして、生長の家で学んだ「自然と人間は一体」という教えへの確信を深めた。
 祖母が生長の家の信徒だった樋上さんは、幼いころから「人間・神の子」の教えを聞いて育った。中学時代、青少年練成会に参加したのをきっかけに自ら教えを学び始め、現在は大阪教区栄える会会頭という要職を務めている。
「第一回目の植樹は大成功でしたが、緑地計画の本番はこれからです。信徒だけでなく、官民の協力を得て計画を進め、地元の人に愛される自然の森を復活させたいですね」

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ここまでが今から約4年前に「いのちの環」に掲載された樋上さんのレポートです。
第一回目の植樹祭には、下は5歳~6歳児、上は高齢の人と幅広い世代の人達が参加されました。
樋上さんはこの日のことを「早朝雨が降り、植樹祭への影響を懸念しました。でも雨が降れば自然は喜ぶんです。人間の都合で善悪を考える癖があるんだと、改めて気付きました」と振り返られています。

その後の「命の輝き共生の森」

植樹祭は現在も毎年続けられていて、昨年(2014年)11月には第6回目が行われ、150名近い参加者で1000本の苗木が新たに植えられました。これで「命の輝き共生の森」に植樹された苗木は合計7350本となり、第1回目に植えられた苗木は高いものでは既に4メートルを超えたとのことです。(この写真が第1回目に植えられた苗木。もう既に立派な樹木に生長していますね)
なお昨年11月の植樹祭の模様は、大阪教化部のホームページで見ることができます。
http://www.ssfk.or.jp/sni-oosaka/gyouji_3.html

※体験者の年代表記は体験当時の年代となります。


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