林 正夫(仮名)さん

C型慢性肝炎を癒され、夢を実現!難関国際旅行主任者を取得し、専門学校と私立大学の講師で活躍!

出典:『夢は必ず実現する』P8~P27より抜粋


絶好調の人生から、大病、離婚、リストラに遭って

私は母方の祖母から生長の家の教えを伝えていただき、飛田給の練成にも大学時代何回か行きまして、ああ、いい教えだなとは思ったのです。
大学を卒業して、旅行会社に入りました。仕事は非常に順調で、添乗部門というところに配属になり、多いときには一年間に二百五十日位海外添乗で飛び回っていました。仕事もすごく順調で、給料も会社の待遇も大変よく、縁あって旅行中に知り合った女性と結婚し、絶好調の時代を送りました。
その絶好調が行き過ぎたようで、自分がすごいんだとうぬぼれてしまったのです。
自分が素晴らしいんで、生かされているとか、そういうことを忘れてしまっていました。早く言えば天狗になったのです。天狗になると落とし穴があり、ボコッと落ちることになってしまうようです。
ある時体調がすごく悪くなり、病院に行きました。町医者でしたが、とりあえず血液検査をして、二、三日後にまた来てくださいと言われ帰りました。 
数日後、会社に電話があり、すぐ来てくださいと言うので、行きましたら、急性肝炎です、ということでした。それで病院を紹介するからすぐ入院しなさいということでした。それで入院したのですが、その頃の私の状態は、自分の仕事に対するうぬぼれがありましたし、妻とは不調和の状態が続いていました。入院はしたものの、病状は好転せず、結局半年間で六回の入退院を繰り返すことになったのです。
その六回の入退院の間に、また二つトラブルを頂きました。
肝炎も結局六カ月を迎えると、急性が慢性になってしまい、C型慢性肝炎というのは、当時の難病指定の病気でした。
その六カ月の間に、別居していた妻と正式に離婚することになりました。
とどめは、九十一年に湾岸戦争がありましたが、その時、各旅行会社はかなり影響を受けたのですが、うちの会社は、ヨーロッパ中心でやっていたので、すごい打撃を受けたのです。それで、まだリストラに逢ってしまいました。わずか半年の間に、離婚と難病とリストラに遭ってしまい、すごく悩みました。
その当時の私は、自分に襲いかかった災難の原因を人の責任にして、裁いていたのです。
離婚したのは、妻に理解がないからだ。リストラになったのは、会社が一方的に都合を押しつけたからだ。病気になったのは、C型ウイルスが悪い。入院中も人を裁いていました。

講師の指導で、先祖供養と愛行と明るい心を持つことを始めた

入院しても変わらない状態だったので、家に帰り、生長の家の講師の指導を受けました。先祖供養と、愛行と、明るい心でいる努力、この三つを続けなさいと言われたのでした。
「あなたが、わずか半年でそんな三つのトラブルに見舞われてしまうのは、あなたの御徳がなくなってしまっていて、ご先祖様のご加護も届かなくなっているからだ」と教えてくださいましたので、それから夜の八時と決めて先祖供養をさせていただき、普及誌を各家庭に配って回るポスト愛行を始め、明るい心になろうと、笑いの練習を始めました。
先祖供養とポスト愛行はやればよいので、よく分からないまでも、私にはこれしか救われるものはないのだろうと、やっていましたが、明るい心でいることはきつかったのです。やっぱり自分の現状を考えると、笑えないのです。笑いの練習をするのですが、おかしくもなんともない。それでぜんぜん笑うことが出来なくて、ある時鏡の前で笑う練習をしてみましたが、それでも笑えません。子供がやるみたいに自分の豚の顔のマネをしたり、おかしな顔をしてみたのですが、それでも笑えません。
その時、私は落ちたなあと、つくづく思いました。健康でなくなり、お金がなくなり、仕事もなくなり、どん底に落ちて、おまけに笑おうと思ってこんな顔をしてみて、それでも笑えない。私の人生、落ちたなあ、本当におちきったなあと、腹の底から思いました。
ところが面白いもので、本当に落ちたなあと、理屈ぬきで感じたとき、全然違うことを思いついたのです。ああ、落ちきって、お金も、健康も、仕事も、全部なくなったんだけれども、とりあえずは生きているんだなあと感じたのです。生きているということは、生命があるということだから、これからはもしかしたら人生、なんとか上がっていくんじゃないのかなあと感じたのです。それはもう理屈ではなかったのです。ほんとに落ちきるところまで落ちたし、どん底まで行ったと思ったし、何にもなくなったなあと思ったときに、人を裁いていた心とか、見栄を張っていた心が、そのときになくなったように思ったのです。
それは入院中も、退院してからも、生長の家の教えを少しづつでも勉強し、また練成会にも参加した、分からないまま、反発しながらもし続けたその結果だと思います。

生かされていることに気がついた。母も同じ病気になったが、運命が好転し、C型肝炎が癒された

何がきっかけであったか、ある時、道場でぼんやりしながらお話を聞いていたとき、フッと感じたことがあったのです。それは、「生きていない」と思ったことです。「生かされてるんだよ」と感じたのです。生きてるんだったら、今ここで十分間息を止められるよな。でも止まんないよな。誰かが、何かが、僕を生かしてくれてるんだよな。とりあえず、死んでないんだから、死んでないということは、まだやるべきことがあるんだよな。使命も、もしかしたらあるんかな。やっぱり生かされてるんかな、と。
誰の講話のときか忘れましたが、道場の後ろ、端っこで聞いていたときに、やっぱり生かされているんか、とフッとそう感じたのです。それまでは、おれが自分の力で生きている、自分が素晴らしい力を持っていて、素晴らしい嫁さんをもらって、いい給料をとっている、そう思っていましたから、「生かされている」と思ったとき、自分がとても謙虚になれたのです。
「生きてるんじゃなくて、生かされているんだ、だったら生かされているなりの生き方があるんだよな」と、そう理屈ではなく感じることが出来たのです。
そういう話は、先生方は何十回も話しておられるんだとうと思うのです。けれども、機が熟さなければ、そういう気にならないのです。でも、ならないならならないなりに、飛田給練成道場に通い続けたことがよかったのです。
人生は落ちきったけれども、生命だけはあるんだから、これからは上がるだけだと、楽観的に思えるようになりました。それからは、割合簡単に笑うことが出来るようになりました。
笑うことが出来るようになり、先祖供養と、愛行とボツボツ続けていると、面白いことに肝臓の数値が下がってくるのです。一〇〇〇からどうしても下がらなかったのが、八〇〇になり、五〇〇になり、三〇〇になったのです。三〇〇と言っても普通の人なら入院なんですが、私はなにせ一五〇〇ありましたから、三〇〇なら二重丸です。よーし、この調子でいけば私は治るかもしれない、医者は治らないとは言わなかったけれども、今のところ、現代医学では治りづらい病気なんだと言って、治る人は少ない。完治する人はほとんどいないと言われていました。だけれども、この調子で行けば、おれはまた元気になるかもしれないという希望が見えたのです。
ところが人生というのは甘くないなあと思う厳しい現実が現れました。母が同じ病気で倒れて入院したのです。そして検査をして出たその病名が、私と同じ慢性C型肝炎でした。それを聞いたときに涙があふれました。こんなに自分だって苦しいのに、ボツボツであるけれども、検査結果が良くなって、やっと光が見えたのに、よりによって、なぜ大好きな母が同じ病気で倒れなきゃいけないのか。もうこの世の中には、神も仏も生長の家もないと、本気で思いました。
家の中は、私がやっと元気になって明るくなったのに、母が倒れて、一家三人のうち、二人が難病指定患者で寝込むと、もう真っ暗な状態になっていました。それで、「もうこれでだめなんだろうな」と思っていたのですが、実は、母の入院が私にとって最大の幸運だったのです。谷口先生の本に、幸運と言うのは、不幸の仮面をかぶって来るときがあると書いてありました。
母が入院したときに、病院と言うのは、アンケートを書かせるのです。癌で死んだ方がいらっしゃいますかとか。そのときに母は、自分の次男が慢性C型肝炎で長い間苦しんでいると書いたようです。それを担当医の先生が覚えていて下さって、私がお見舞いに行ったときに、その先生の回診があって、その先生が「あなたが肝炎のお子さん?」と言われるので、そうですと言ったら、どんな経緯で発病して、数値がどうだったか話してほしいと言われるので、私がそれを話しましたら、驚いたことに、
「ふーん、それなら僕の診療を受けてみる?治るかもねえ」と言うのです。
驚いたのは、それまでかかっていた病院では、完治する人はほとんどいないと言われていたのに、この先生は、治るかもしれないと言われるのです。そう言うと、
「うん、確かに治りづらいのだけれども、あなたぐらいの若さで、同じような経緯で僕の治療を受けた人が治った人いるんだよね」と言うのです。
半年間治療をして、退院をして、外来で母と一緒にその先生の診療を受けに行きました。
信じられない結果でした。私のC型肝炎は消滅していたのです。私は「完治したのですか」と聞いたら、「今の医学では、この段階では完治とは言えない。半年後に検査をして、C型肝炎ウイルスが完全になくなっていて、肝臓の数値が完全であれば完治といえる」と言われました。それで半年後に検査をしてもらいましたら、どこにも悪いところはない、ウイルスも見つからないと言っていただきました。それを聞いたときは本当にうれしくて、なんと有難いことがとしみじみ思いました。

夢の実現に向けて

私は生長の家のみ教えを知って、本当のことを知ったなと思っています。それまでも、唯物論ではなかったのですが、霊とか魂とかいう存在は信じていました。ただ、そういうのはあるとは思っていましたが、やはり人間自分で生きるんだ。自分で稼いで、自分でお金をもらって、自分で食べていくという考え方だったのが、そうではなくて、物質の奥に、肉体の奥に、霊妙きわまりない生命というのがあって、それに生かされているという考え方に変わって、ものの見方がまったく変わりました。
そしてどんなトラブルがあったときにも、昔の自分だったトラブルがあったな、なぜ自分がこうして苦しまなけりゃいけないのかということばかり思っていましたが、生長の家の教えを知ってからは、全てのものは我より出でて我に帰る、どんな苦しい体験をしても、肉体にとっては苦しいかもしれないが、生命にとっては必要なことと、それに感謝できるようになり、それを淡々とらえることができるようになりました。
人生の問題は、受け方によってプラスに変えられることを教えていただきました。
現在私は目標であった旅行業界の国家資格『総合旅行業務取扱管理者』を取得し、
大学等で教鞭をとっています。旅行業界を目指す若い人たちに旅行業界の楽しさを伝え、すばらしい人材を業界に送り出すことに努力しています。そしてこれからもお世話になった旅行業界に感謝し、お礼をしていきたい…と強く思っています。

※体験者の年代表記は体験当時の年代となります。


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