究極のCSRは生物多様性の尊重にある

岡本享二さん


ブレーメンコンサルティング株式会社代表取締役



出典:「いのちの環」No.30(平成24年9月号)


今、CSRが求められる理由

[聞き手:山岡睦治(宗教法人「生長の家」出版・広報部長)]

--最初に、岡本さんが『CSR入門「企業の社会的責任」とは何か』(2004年、日経文庫)というロングセラーになっているご著書を執筆された経緯をお聞かせください。

岡本 1997年から2004年にかけて企業人が集まってCSRの勉強会を開催し、その成果を毎年200頁ほどの冊子にまとめて発行していました。外資系企業に勤務していたので、欧米の情報が入手しやすいこともありました。それらが基盤になって執筆したのが『CSR入門』です。

--日本IBMと言えば、かなリ早い時期にISO14001を取得されたようですね。

岡本 1996年に、国内では一番早く認証を取得した企業のひとつです。当時のIBMは世界規模で環境対応に力を注いでいました。例えば、エネルギー削減目標を毎年、前年比4%と定めて10年以上継続しました。

--生長の家は2001年にISO14001を取得しましたから、日本IBMは大先輩ですね。

岡本 ありがとうございます。生長の家が宗教法人として、こんなに早期に取得されていたことにも驚きました。

--まず“CSRとは何か”からレクチャーをお願いします。

岡本 CSRとは「Corporate Social Responsibility」の略称です。日本語では「企業の社会的責任」と訳されています。この言葉は、日本でも1960年代から70年代の公害問題でマスコミに登場するようになりました。90年代に入ると、欧米から企業の価値を財務内容の善し悪しだけで判断するのではなく、「経済」「環境」「社会」の三つを企業評価の尺度とする動きが出てきました。いわゆるトリプルボトムラインと言われる三つの指標で企業を評価しようという動きです。
その背景にあるのは
 ①企業のグローバル化の弊害ともいえる、先進国と途上国の歴然とした格差の存在
 ②情報技術(IT)の発達による情報化が、世界中の人々に対して、公平・公明・公正さの必要性を認識させた
 ③地球環境の劣化が、科学的根拠の下に明白になった
この三つの動向が、従来の企業の社会的責任をグローパルな社会的責任へと変えてきました。一企業が犯した公害問題の修復という発想から地球環境問題としての気候変動、生物多様性の喪失など、今まで社会的コストとして放置されていた問題が問われ出したのです。

CSRに必要な生態系の視点

--岡本さんは、『CSR入門』の中で、企業評価の三つの尺度に、さらに「人間」と「生態系」を加えていますね。

岡本 先のトリプルボトムラインは、英国のCSRの草分けであるジョン・エルキントン氏が1980年代に提唱されたわかりやすい表現です。日本でも大いに受け入れられました。しかし、勉強していくうちにこの三つでは足りないと感じました。そこで「人間」と「生態系」を加えた五要素にして「ペンタゴンネット」と名付けました。

--すでに「環境」という尺度があるのに、「生態系」を加えられた理由は?

岡本 核心を突く質問ですね。トリプルボトムラインで言っている「環境」とは、企業が対応可能な相対的な規制数値や、なまぬるい法律を守るという意味合いのものでした。しかし地球環境という視点で考えると、絶対量で規制する必要があります。企業は、単に法律を守る以上のことをしなければならないという意味で「生態系」という尺度を導入しました。

--CSRと生態系、つまり生物多様性を守るということとはどう結びつくのでしょうか?

岡本 企業をはじめ我々の生産は、生命の基本である水や空気、食糧となる動植物、鉱山資源ですらすべて自然からの賜(たまもの)です。CSR遂行にあたって、生命の母体である自然環境を守ることが不可欠です。
尊敬するアメリカの生物学者エドワード・ウィルソンは、富には「物質的な富」「文化的な富」「生物多様性の富」の三種類がある。人間は物質的な富には強い関心を持ち、生活に余裕が出ると文化的な富に向かう。ところが最も大切な生物多様性の富は忘れがちだと警鐘を鳴らしています。

--生物多様性の富とは、具体的にはどんな意味でしょうか?

岡本 多種類の生物から醸し出される自然は、食料の源であり、風水災害を軽減し、心の安寧を与えてくれます。例えば稲は数千種あることによって、干ばつや冷害が起きても必ず生き残る種が残り、存在し続けてきたのです。おいしくて収穫量が多いからという経済的な理由だけで、限定種だけを残せば、大きな気候変動が起こった時に全滅してしまう怖れがあります。
アマゾンには薬草となる未発見の植物が多数存在するといわれていますが、開発によってアマゾンの自然が破壊されれば、貴重な薬剤資源が日の目を見ないまま葬られてしまいます。

--企業が生物多様性の視点を入れたCSRに取り組んで行けば、大量生産で物を作って売っていく企業のあり方は是正されなければなりませんね。

岡本 鋭い視点ですね、興味深い例があります。
ホテルや公共のトイレで石けんポンプを見かけますね。石けん液がたくさん出てしまい、水をたくさん使いペーパータオルの備えがあれば二、三枚使ってしまったという経験はありませんか? 石けん液をフォーム(泡)で出るようにすれば、五十分の一の量ですみます。これなら水やペーパータオルも控えめで済み、浄水の負荷も減ることでしょう。
ビジネスとしてはせっけん液を売るのが商売なのでたくさん液の出るポンプを無料で提供してでも石けん液を売ろうとします。石けんの原料となるパームオイルを得るためにはボルネオなどの原生林を伐採して広大な大地に油ヤシを植林します。野生の動植物は絶滅の危機に瀕し、自然災害も起こりやすくなります。液体かフォームで提供するかで、企業の姿勢も間われているのです。

企業から個人の社会的責任へ

--岡本さんは、CSRの「C」は、「Corporaiton(企業)」から「Consumer(消費者)」や「Citizen(市民)」の「C」に進化しなければならないともおっしゃっていますね。

岡本 CSRは企業の社会的責任からスタートしていますが、Cを取ってSR(社会的責任)として、企業だけでなく、宗教法人も大学も自治体も、あらゆる組織でやらなければならない課題です。最終的には組織の要素である個人(C)の問題になるでしょう。
企業のCSRは一見良いことずくめのようで、実は企業の持続性だけを考えていて、地球の持続性まで踏み込んでいないように思います。大量にモノを造って大量に販売する是非を問うてはいません。企業にとってCSRが資源の獲得や大量生産、大量廃棄の免罪符になってはいけません。結局、商品や製品を買うか買わないかは、個人の判断になります。消費者、生活者個人の社会的責任の問題になってくるのです。

--私たちは生長の家本部事務所でISOに取り組んでいますが、家に帰ったら、物でもエネルギーでも使い放題という生き方はできない。信仰者であるから、言っていることとやっていることが違うというのはいけないと考えるわけです。ひょっとすると、私たちが信仰者として個人で取り組んでいることはCSRの最先端の生き方になるかも知れませんね。

岡本 素晴らしい取り組みですね。営利目的の企業にはできないことが、宗教法人のような営利を目的としない組織や個人にはできます。「先進国の消費の問題」はその典型です。企業では、売ることに専念せざるをえませんが、個人であれば必要最小限の購入に押さえ、資源やエネルギーの使用を根本から考える行動が可能です。

--そこに、宗教団体として信徒である個人に啓発して行く意昧がありますね。


【生物多様性を尊重した事例】

岡本 今まで「多様な種類の稲」や「アマゾンに眠る薬草」のお話をしました。変わった例としてニューヨーク(NY)市水道局の事例があります。70年代までとてもきれいなNYの水だったのですが、ご多分に漏れず水源地が汚染されて水質が悪くなりました。水道局は当初、大型の浄化施設を造ろうとしたのですが、自然保護を推進する生態学者らが、水源地そのものの自然環境を戻すことを強く要請し、NY市はそれを聴き入れました。その結果、浄化施設建設の四分の一の初期費用で、かつ、毎年の運転資金やメンテナンス費用を掛けることなく水質を取り戻すことができました。汚染源である畜産業者や工場生産者らを説得して糞尿処理や、工場排水の管理を徹底させたのです。自然環境を元に戻すことで、お金を掛けずに恒久的な解決ができました。この事例は、現在、世界各地で展開されています。
元々人間は自然(生態系)の仕組みの中の一部だったのに、知恵がつきすぎて自然から離れてしまいました。私は「もう一度、自然の一部に戻って、自然から謙虚に学ぶ姿勢を大切にしよう」と呼びかけています。

--まったくその通りで、生長の家も、人間至上主義を脱却して、自然と人間が調和した社会を目指そうと活動しています。

岡本 生長の家が行っている環境保全活動などを知るにつけ、私の唱えていることと同じだと嬉しく思っています。特に、環境方針にある「天地の万物に感謝する」という教えの中で、鉱物やエネルギーにまで感謝すると説くのはすごいことだなと感心しました。

CSRから見た肉食の問題~~CSRと宗教の目指す一致点

--生長の家では、宗教的な不殺生の考えや環境、資源の観点から、肉食を控えようと訴えるとともに実践も心掛けています。生長の家の栄える会では、「会員は、経営または勤務する事業所が食肉を扱う業務を行っている場合には、地球環境や生態系への影響が大きいことに鑑(かんが)み、可能であれば業務内容の移行をはかる」と打ち出していますが、この肉食の問題について、CSRの観点からどうお考えでしょうか。

岡本 少々びっくりしましたが、正しい方向だと思います。
WHOは1964年にタバコの害を警告しました。現在、世界中で禁煙が進められていることは周知の事実です。2010年にWHOは、お酒の飲み過ぎに関する警告を発しました。最近、コンビニでビールを買うとき、20歳以上かを確認されますよね。アルコール飲料に替わってノンアルコールの飲み物が増えていることにもお気づきでしょう。WHOが次に警鐘を与えそうなのが肉食です。理由は三つあります。
①殺生への疑問、②健康上の問題、③食料の効率性の問題、です。
牛肉1キロを得るために10キロ前後の飼料が必要です。ならば人聞が直接、穀物を食べれば良いではないかという、至極当然な発想です。早めに食肉業者の業務内容に注意を払うことは、その人たちを救うことにつながると思います。

--生長の家では環境問題を考える視点として、「世代間倫理」を重視しています。この考え方はCSRでは重要視されているのでしょうか。

岡本 私は世代間倫理について「世代間の公正」とともに「世代内の公正」「種間の公正」という三つの公正があると考えています。「世代聞の公正」とは未来世代と現代に生きる人々との公正を保つことです。未来世代の資産を先取りして現代世代が将来に負債を残しているのが現状です。「世代内の公正」は先進国と途上国との貧富の差を問題にしています。先進国は途上国の資源、環境、労働力を搾取して成り立っています。そして「種間の公正」は、動植物と人間との公正、すなわち共生を謳(うた)っています。

--岡本さんからCSRの最先端のお話をお聞きして、私たちは、生物多様性を尊重して自然と共生する方向に団体としても個人としても責任を果たしていかなければならないという大きな転換点にさしかかっていることを強く感じました。

岡本 同感です。私も生長の家が打ち出している自然との共生の方向に感銘を受けました。企業では利潤優先になりがちで、CSRを強要するとブレーキをかけるのかと言われますが、宗教界では本当の意味のCSRが達成できると思いました。宗教とCSRという違う分野にいても、最終的に目指すところは似てくるんだなと実感した次第です。ありがとうございました。

--本日は大変有意義なお話をありがとうございました。



※体験者の年代表記は体験当時の年代となります。