悪性リンパ腫を乗り越え、子宝が授かりました

森田祐美子さん




出典:ご本人の体験談より


胸に悪性腫瘍がみつかり、伯母の勧めで、飛田給道場にやって来ました

“真理への道はただひとつ ―-人間は神の子だ―-ということである”
飛田給道場に掲げられたこのことばによって、私の人生の第二幕が開けました。
飛田給道場に来なければ、生長の家の御教えにふれなければ、いまの私はない、と思います。
飛田給道場に到着したときのわたしは、それほどまでにギリギリの状態でした。
胸に直径14㎝の悪性腫瘍がみつかり、病名不明、どの病院にも治療を引き受けてもらえず、そしておなかの中には、5か月になる赤ちゃんがいました。
絶望のなか、生長の家の熱心な信徒である伯母の強い勧めで、主人と母と私の三人で、藁にもすがる思いで飛田給道場にやって来ました。

練成会に参加し、両親に感謝し、前向きな明るい言葉を使うようになりました

どんなところかもよく知らないまま、私たちは感謝行中の部屋に通されました。
そこでは数十名の人が畳を拭きながら、「お父さんお母さん、ありがとうございますー」と言ってぼとぼと涙をこぼしていました。主人と私は思わず後ずさりしました。
しかし、皆と同じように畳を拭き、「お父さんお母さん、ありがとうございます。」と呟いていると、心配そうな両親の顔、可愛がってくれた記憶が一気によみがえり、涙が止まらなくなりました。
その後の個人指導で、「あなたはご両親に感謝していますか。ご主人を立てていますか。」と聞かれました。恥ずかしくて言葉に詰まりました。
正直、感謝したことありませんでした。親が子供を育ててあたりまえ、夫婦は対等!と思っていました。それどころか、いつも我を通してけっきょく親や主人、周囲の人が折れて私に合わせてくれていました。そのうえ、極度の怖がりで、指の先に小さな棘が刺さっても「明日には指が腐って死ぬ」と悪い方へ考える人間でした。
生長の家のお話を聞けば聞くほど、これまでの自分の考え方は真逆で、なんと酷い人間だったか、と悔やまれました。 こんな私だけれども、それでも救われたい、もう一度やり直したい、と思いました。先生は「人間は元来みな神の子、完全円満。悪人も病人もないのです。大丈夫。必ず善くなります。」と優しく力強くおっしゃってくださいました。
 
その後、腫瘍は悪性リンパ腫と判明し、化学治療に入りました。治療の合間に飛田給道場に来て、練成を受けました。入院中は道場で教えて頂いたあらゆることを実行しました。ベッドの中で神想観、先祖供養、浄心行、感謝行、聖経読誦、聖典拝読。そして周りの全てに(人や薬やコップやおしっこにも)、笑顔で「ありがとう」を言い、前向きな明るい言葉を使うよう心がけました。いつしか、病気や将来に対する不安や恐怖は小さくなっていました。
母も毎月上京して道場の練成会に参加しながら私を見舞ってくれました。主人は毎日欠かさず会社帰り、病院に寄ってくれました。

自分の命を助けてくれた赤ちゃんに感謝し、神さまから頂いた命を大切に懸命に生きることを決意!

多くのご愛念のおかげで、私は順調に回復し、9か月後には自宅で日常生活が送れるようになりました。
また、飛田給道場で知り合った方に誘われて、ヤングミセスの集いに毎月通うようになりました。そこに来ている人たちは、御教えを信仰して家庭は仲睦まじく幸せ、ご本人もイキイキキラキラ、輝いて見えました。
集いはいつも明るいコトバが飛び交い、温かく優しい空気に満たされていました。その雰囲気が大好きで、しょっちゅう行きました。生来のマイナス思考はいつの間にかプラスになっていて、なにか事が起こっても、「大丈夫、そんなん大したことない。これで善くなる。」と自然に思えるようになっていました。
 
明るく楽しい生活でしたが、心の奥に長らく消えない暗い部分がありました。
私のお腹にいた赤ちゃんは治療中に亡くなりました。「貴女の赤ちゃんは貴女を救い導いてくれるために地上に降りてきたのです。使命を果たして還って行ったのですよ」と、先生は教えて下さいました。でも、ふとした瞬間、「もっと自分に“病無し”の信念があれば赤ちゃんは助かったかも・・・」と後悔の念が湧いてきます。
そんな時、私は冒頭の言葉を思い出します。
「真理への道はただ一つ。人間は神の子だ、ということである」
赤ちゃんも私も等しく神の子で、神さまの命を頂いて生きている。私の為すべきは、この頂いた命を大切に懸命に生きること。ぐずぐず考えてる時間がもったいない!
これでプラス思考に切り替え完了、元気復活です。

子宝を授かり、女児を出産、愛と感謝の生活を送っています

御教えにふれて六年後、新しい命を授かりました。この子は二週間余りで天国へ帰ってゆきました。 それから後は、勤めていた知的障害児童の学童施設での仕事を自分の天職と定め、一層心を込めて施設の子供たちの幸せを祈り、仕事に励むようになりました。
それから三年、四十歳を過ぎ、周囲も「お子さんは?」とも聞かなくなった頃、子宝を授かり、平成24年12月、元気な女児が誕生しました。
 
私の人生の第二幕は、それまでの人生とは全く別物となりました。
御教えのおかげで、常にプラス思考、どんな状況でも「大丈夫、これで善くなる」と思えるようになりました。主人、両親、周囲の皆様の愛に気づき、感謝することを知り、感謝が喜びになることを知りました。明るい愛深い素晴らしい仲間や先輩にも巡り会えました。生長の家で知り合った人々から、どれだけ善い感化を受けたかしれません。そして、愛を感じ、感謝できるようになって、相手を愛する、思いやることができるようになりました。人生をより豊かに感じることができるようになりました。たまに以前の、我の強い自分が顔を出すこともありますが(長年しみついた習慣で)、すぐに反省することができるようにもなりました。
この素晴らしい御教えを一人でも多くの人に知っていただき、幸せに導かれる人が増えることを切に祈ります。私の体験もその一助となれば、幸いです。



※体験者の年代表記は体験当時の年代となります。