暗い人生から、練成会に参加!感謝に目覚め、現在社員二十名、年商四億の会社で御恩返し!
熱心な生長の家の母から生長の家に誘われ続けていましたが、最初は反発していました
樋口龍章さんが次のような体験談をして下さったのである。
彼は昔から平成十六年の一月まで“現役バリバリのやくざ”だったということだ。ところが正子さんという龍章さんのお母さんは、熱心な生長の家の信仰者で、やくざや不良は止めて欲しいと願っていた。そこで常に講習会に彼をさそったり、祈ったりしておられたが、彼はいつも、「そんなお祈りなんかするな。そんなことをするから、俺の出世が遅れているんだ」などと反発していた。しかし母に勧められて、二回ほどは講習会に行ったことがあった。その時も、「上等なスシを食べさせてくれるなら」という条件付きだった。母はそれでも彼を連れて行ってくれた。すると平成十五年の六月のこと、土浦市にある予科練の記念館で、特攻隊で戦死した人達の遺品が飾ってあるのを見た。それを見た時、「俺はこのままヤクザをやっていいのだろうか……」と強く感じたというのだ。
しかし記念館から出ると、いつものようにヤミ金の取り立てとか、恐喝広告などの悪業を重ねていた。ところが平成十六年の一月頃から、どうやらヤクザの歯車がかみ合わなくなり、事務所にも顔を出さなくなった。そして鹿嶋近辺をフラフラしながら生活をしていて、二回目の離婚となった。
どんなにでもなれという気持ちになった時に、フと生長の家のことを思い出し、飛田給へ行きました
こうしてどうでもいいやと、どんなにでもなれ、という捨て鉢な気持ちになった時、フと生長の家のことを思い出し、教化部の講師や練成会のことを回想して、母に「練成会に連れていってくれないか」とたのんだ。そして茨城の教化部に行くと、そこでの練成会は三日先だが、今もう飛田給では練成会をやっている――と嶋田講師や母に強くすすめられ、「飛田給に行く」ことになった。
一旦はそう決めたが、飛田給へ行くバスの中や電車の中で、「こんな自分では、練成会へ行ってもダメだろう……」と思い、引き返そうかとも思ったが、母のことを考えると、とにかく出迎えの人を撒いて一人になろうと思ったが、見つかってしまい、連れられて道場へ着いた。
母や講師の「愛」によって、心が変わり、世界が変わって来ました。
着いてみるとすでに「笑いの練習」をやっている。や、これはもうこれはダメだ。こんな事は俺には出来ないぞと思ったが、母からお金を預かって来ているので、とにかく受付だけはすませた。そして今日帰ろうか、明日帰ろうかと思っているうちに、入浴の時間になった。自分の背中には入れ墨がしてある。それを他人に見られるのはいやだ。で、そのことを熊本講師に話した。すると、「ちょっと待ってなさい」と言って、裸になって、一緒に裸になって、一緒に風呂に入ってくれた。それだけではなく、入れ墨の入った樋口さんの背中を、流してくれたのである。彼は今まで、一度も背中なんて流してもらった経験がなかった。だからとても感動した。しかし早く家に帰りたいから、流してくれなくてもよいなぁ――という気持ちで一杯だったのである。
しかし「帰る」と言うと、どうも熊本先生に悪い。とにかく二、三日いるか……という気持ちになったのである。すると次の日の「神想観」の時間から、今までのフラついた気持がクラッと変わった。祈り続けているうりに、世界が変わってきたのだ。母や講師の「愛」によって、心が変わり、世界が変わって来た。「ありがとうございます。ありがとうございます……」
と感謝誦行をし、先祖供養をし、“浄心行”では今までの悪事を色いろと書き並べ、その紙を燃やして行くと、彼の心は一変した。するとそれ以来まるで住む世界が変わり、タバコの吸い殻を拾う自分となり、自分から便所掃除をし、景色を見ては感動する自分へと変わってしまったのである。
建設会社に入社し、将来の大成を目指して、働いています!

そんな体験を道場の演壇で話している龍章さんの所へ、壇に上る梯子の下から上まで、小さい可愛い子供三人が昇って来て、龍章さんに何かを呼びかけている、この三人は別れた妻の春江さんが、道場まで一緒に連れて来た幼い子供達だった。彼をここまで導いて来られた愛深い母、正子さんもこの日練成会に参加しておられるのである。
彼は今、佐藤総務が紹介して下さった地方講師の菊﨑春大さんの経営する建設会社に入社し、大工として職人見習いとして、将来の大成を目指して働いているという話であった。
この実例のように、「愛」は森となり、さらに宗教の道場ともなり、母や妻や子供たち、さらに友人知人の愛となって、人びとのいのちを引き出してくれるのである。
※体験者の年代表記は体験当時の年代となります。